大好評をいただいている「珍説供養」ですが、実は「供養ネタ」をやるの、今回が初めてではないんです。
今から20年ほど前、夏休み期間にリゾート施設で連日の小イベントを担当する仕事がきまして、ミニライブ、ゲーム大会、怪談など日替わりで催しを開いていました。
施設はコテージ群型で、長めの日数滞在されるお客さんも多かったので、毎日楽しみに来てくれる子供さんなどもおられました。
その中でやった小ネタに「死語供養」というのがありまして、使うと絶妙に恥ずかしい(笑)感じの死語を選んで、一つ一つ紹介しながら成仏を願うという内容。
当時は凝った映像演出などはできなかったので、紙に書いてめくるという原始的なスタイルでしたが、神妙な顔で舞台に出てきて、葬儀屋みたいな口調で「ご参列の皆様、んちゃ!」と挨拶した時点で会場大爆笑。非常に盛り上がったネタとなりました。
その時に「供養ネタはウケる!」という成功体験ができたのですが、まさか20年以上たって(当時、すでに熱心な読者だった)ゴー宣関係のコンテンツでやる事になるとは…当時の自分に言ってもさっぱり意味がわからなかったと思います(笑)(当時は道場もホームページもなく、戦争論3が出たぐらいの時期)。
とはいえ、今回の珍説供養はただの焼き直しではなく、20年で培ったあらゆる技術が反映されて大幅に進化しています(名古屋でもさらに!)
これは、比較的成功だったものを持ってきたパターンですが、一度やって芳しくなかった手法(「ネタ」に限らず、テクニカルなものなども含む)も、後に試行錯誤を重ねた上で再用し成功したものも大量に存在します。
供養だのなんだのやたらと生き死にの言葉にからめますが(笑)エンタメに関するモチーフ、プロット、手法などは、時間を経て輪廻転生し、「前世」よりも大きく花開くという事がしばしばあります。
並べるのはちょっとおこがましいですが、よしりん先生の「夫婦の絆」や「よしりん御伽草子」なども、完全な形には至らなかった前世から大きく飛躍した形で令和の世に復活しました。
「動く」事には常に失敗のリスクも負いますが、そこから得られる情報や経験は、ネット検索で見つけた「コスパの良い〝正解〟」では絶対に習得できないもの。
冷笑をもって自らを高みに置く(つもりになる)事は、「何も失敗しない」かもしれませんが、同時に「何も生まない」ので、ただそのまま朽ちて「無」になるのみです。最後まで、自分の精神まで麻痺させたまま。誰にも顧みられる事もなく。
私は根拠のないポジティブシンキングは好みませんが、大抵の「上手く行かなかった事」は、強がりではなくあらゆる側面から「ネタ」になると思っているので、一生このマインドだけは持ち続けていたい、と思ってやみません。